こんにちは、ガンダーラー子です
俳優の渡哲也さんが亡くなられましたね・・
ラー子は数か月前に、DVDで「人間革命」(1973年東宝)と「続・人間革命」(1976年)の映画を見たのですが、それに出演していた若き日の渡さんが、印象に残っていました
ラー子の母親は、当時幼い私と妹を連れて、映画館へ見に行ったそうです、私は全く覚えてないけど
この映画は、その年の観客動員数2位だったとか
渡哲也さんは島谷というヤクザ役で、戦後の物資不足の中、戸田先生が出版用の紙を探している時に、闇ルートのヤクザ組織として登場します
島谷はヤクザの組織に属しながらも、自分を模索し、答えを求め、戸田先生の座談会にやってくるんです
戸田先生は島谷のことを、ヤクザという修羅界の世界にいながらも、この社会とは?自分とは何かを探求している声聞界にいる生命だと言いました
たとえ、悪人でも罪人でも、自分に向き合い、自分の本当の声を聞こうとする生命状態は、十界生命の中の7番目の声聞界であると・・ ラー子にとって衝撃でした
私はこれまで、「なんでヤクザや麻薬などの悪の組織はなくならないのだろう?」とずっと疑問でした
でも目覚めた今は、彼らにも私たちの知らない大切な役割があるのだろうと思うようになりました
だって、役割がなければこの世に存続し続けることは法則上不可能ですからね
その役割が必要なくなった社会になれば、自然に淘汰・消滅するのですから
これも宇宙の森羅万象のひとつなのよね
映画の中でヤクザ役の渡さんは、死を覚悟で敵対する組の葬式に飛び込んで行って殺されてしまうのですが、その前に、戸田先生に電話をかけてきます、「これから自分で決めたことをやってくるぜ」みたいな感じで
戸田先生は、彼を止めようとして、葬式の寺に駆けつけますが、間に合わず・・・
この辺りのストーリーは、抗争シーンで血しぶきが飛び交ったりして、女子には少々キツイかな、映画用に脚色されてるようです
人殺しはカルマを積みます、それは自己責任です、自己責任の元に島谷は人殺しを実行します
これは人間の「学び」のひとつですが、宇宙はこれを「無明」「煩悩」と言います
島谷は魂の成長過程の修羅界の中で、無明や二元論という煩悩に支配されて人生を終えました
これは宇宙的に観れば、決して悪いことではありませんし、良くもありません、ただの成長過程です
修羅界より下の畜生界の人間のほうが、世界人口の割合として多いのではないかと思います
修羅界(怒りの世界)は、畜生界よりステップアップした境涯で、怒りのパワーで勇気を得られるのではないかと思う
自分の周辺世界だけの意識で生活してるのは畜生界、社会全体に目を向けられるのは修羅界以上の境涯よ
ラー子も、この修羅界には長らくお世話になったわ(笑)
でもだんだん、この修羅界の生活が辛くなってくるのよね、それで何とか抜け出したいと思い、勉強を始めて「二元論」や宇宙の法則の「両極の法則」や「南無妙法蓮華経の”経”」に辿り着いて、抜け出せたわ
映画「人間革命」では、戸田先生役が丹波哲郎さんです
彼はこの映画で、難しい仏法用語を完璧に覚えたそうです、ホント、セリフ・演技共にパーフェクトでした
毎日映画コンクールで、最優秀男優賞を受賞してます
彼の演技を通して、大らかで飾らない人間味に溢れた戸田先生の魅力を感じることができたわ
丹波さんといえば、映画「大霊界」で有名ですが、死後の世界に興味を持ったのは、ガンで死の恐怖に怯えてる友人をなんとか安心させてあげようとしたことが、きっかけみたいですよ
30代の頃から、車椅子になってしまった奥様の介護をされてたとか・・
丹波さんの事はWikiを見ると、色々不思議でおもしろい事が書いてあって、イメージが変わりました
映画「人間革命」でのハイライトシーンは、戸田先生が獄中で窓の外に昇る太陽と共に「悟る」シーンです
ラー子も、このシーンには、号泣!
戸田先生は「無量義経」という仏典に記された、「仏」のことを34の「非ず」で表現した難解な部分を解読しようとしてました
「その身は、有にあらず、無にあらず、因にあらず、縁にあらず、出にあらず、没にあらず・・」
これを戸田先生は「仏とは生命なんだ!生命の表現なんだ。外にあるものではなく、自分自身の命にあるものだ。いや、外にもある、それは宇宙生命の一実体なんだ!」と悟るのです
「有にあらず、無にあらず」とは、有りもしないし、無いわけでもない、どちらでもない状態
つまり、両極の法則を超えている、ということよね、「二元論」ではない
宇宙(仏)は、善も悪もない、右も左もない、出てもないし没してもない、「一元の世界」・「中道の世界」・「空」(くう)の世界
「悟り」とは「差取り」と言われるわよね、物事の両極の「差」を意識しない事に気づくのが「差取り」
この地球の物質世界は、「二元論」の世界で、非物質世界である一元の悟りの世界とは真逆
二元や両極という仮の修行世界で、善と悪、右と左、あっちとこっちの両極端を経験し経て学んでるのよね
そんな物質社会でも、中道に意識を定めれば、善にも悪にも振り回されることはないわけね
もうひとつ、映画の中でラー子が印象に残ったシーンは
会社経営で首が回らなくなってきた戸田先生が懸命に祈る中で、日蓮が目の前に現れます
そして日蓮が戸田先生に激を飛ばすシーンです(日蓮役は、仲代達矢さん)
「お前は、経済、経済と、それだけか? お前のやるべきことはそれじゃないだろう!」って
いや~ラー子にはこの日蓮の言葉がコロナ禍の今、「地球が人類に警告してる言葉」だと感じたわ
もう先進国の経済発展は過剰すぎ、人間中心の物質至上主義は昭和・平成で終わりよ、もうやめましょうよ
大量生産・消費経済は縮小して環境負荷を減らし、有機農業や漁業で自給率を上げたり、里山再生で、自給自足生活ができる体制を作りましょうよ
買い物はネットやフリマ・リサイクルで十分よ、もうショッピングモールとか商業ビルは作らなくていいからね
今までありがとう、十分楽しませてもらいました
この前、隊長がラー子の家系の「因縁」を色々教えてくれたけど、
実家にあった戸籍のコピーを見てたら、またひとつ衝撃の事実が見つかったの
それは、亡くなった父親の戸籍に、父の出生地が、東京府東京市大森区となってたの
ん?うちは埼玉なのに何でだろうと思って、戸籍を遡っていくと祖父の本籍が、東京市大森区入新井2丁目41番地
祖父は、清(きよし)という名前で、大工やってたみたいだけど、沖縄へ出兵して、本州へ戻ってくる船の途中で亡くなったらしいわ
だからラー子が生まれた時には、もうこの世にいなかったのだけど、写真が残ってて、これが男前なんだわよ(余談)
ちなみに、母方の祖父の富夫の若き姿も、外国人みたいでイケメンだったわ(余談)
ラー子には、おじいちゃん達との交流が全然なかったから、今になって無性に気になるのよね
で、この戦死した清と結婚した祖母は、元々埼玉の人なんだけど、大森に出稼ぎに行ってたのか、そこでラー子の父は生まれたわけ
そしたら、この大森区入新井2丁目というのが、学会の師匠の生誕地と同じだったの!しかも2丁目までも同じ
師匠のご実家は、海苔屋さんだったそうよ、ラー子の実家は海苔を巻く寿司屋!
子供の頃、父親と熊谷の市場へ魚の仕入れに行って、帰りがけに必ず馴染みの海苔屋さんに立ち寄ってお茶と美味しい味付け海苔を頂く、というのがラー子の小さな幸せだったわ・・
戸田先生の実家は買積廻船の仲買商、日蓮は漁村出身・・ みんな海関係ね!
隊長曰く、海関係は、惑星「シリウス」が関係してるらしいわ
シリウスは、太陽系外の星で一番輝いて見える星で、冬の大三角形を形成してるんだって
宇宙の法則を司る、高次元の惑星で、地球の創造にも関係してるみたい
銀河系の中でも、ハブ惑星で、多種多様な異星人が行き交ってるんだって
猫型宇宙人もいるそうよ、もしかしたらドラエモンとか、「にゃんこ先生」もコレかしら?
映画「メン・イン・ブラック」に出てくる、異星人ステーション的なシーンと一緒ね!
「シリウス」といえば、ラー子が以前住んでたアパートの名前は「シリウス中町」だったし、仕事で担当してるオランダの倉庫の住所が「シリウス通り」だわ・・
これも、いわゆる「伏線」かしらね
1942年、師匠が14歳で蒲田の鉄工所で働いてた頃、父親は生後1年
祖父の清は33歳だけど、戦地へ行ってるか既に戦死してるわね
祖父が戦地へ行く前に、師匠の子供時代にどこかで会ってないかしらね・・
でもとにかく同じ地域に住んでたというだけで、感無量です
この辺りの地図をググったら、ほとんどはビルやマンションで昔の面影はないけど、
気になったのは、桜の木がたくさん植えてある公園があって、名前が「清花公園」というの
祖父の名前は「清」・・ なんか関係あるかしら・・
戦死で夫に先立たれてしまった祖母は、ひとりで幼子ふたりを抱える中、仏法に巡り合い埼玉に戻るの
昔の戸籍を見ていると、この人たちがいたから自分が今ここに存在してるのだと実感できて、ありがたい気持ちになるわ
小説「人間革命」には、師匠の愛情深きお母さまの様子が描かれていて、そのお名前が「いち」というのね
当時はありがちな名前なのかもしれなけど、ラー子は思わず「これは伏線か?」と思ったわ
なぜなら「いち」は、「ワンネス」「究極のひとつ」と同じ意味だから
「究極のひとつ」から生まれし師匠、宇宙から直々の使命を頂いたかのよう・・
私たちみんなもそうだけどね、みんな「いちさん」「ひとつさん」と言う名の宇宙母から生まれたわ!
と、いうことで、今日はこのへんで、チャオ!